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日本プロ野球史にその名を刻むレジェンド・米田哲也さん。
通算350勝という驚異的な記録を持ち、"ガソリンタンク"の異名でも知られています。
阪急ブレーブスでのデビューから22年間、第一線で投げ抜いたその姿はまさに鉄腕!
この記事では、そんな米田さんのプロ野球選手時代の活躍から、名球会での活動、そして2025年3月に報道された残念な報道までをまとめました。
【名球会】米田哲也のwikiプロフィール!
まずは米田哲也さんの簡単なwikiプロフィールを見ていきましょう!
- 氏名:米田哲也
- 生年月日:1938年3月3日
- 出身地:鳥取県米子市(旧・西伯郡大篠津村)
- プロ入り:1956年(阪急ブレーブスに自由契約で入団)
- 所属球団:阪急ブレーブス、阪神タイガース、近鉄バファローズ
- 通算成績:350勝、3388奪三振、949登板、防御率2.91
- 主なタイトル:最優秀選手(1968年)、最多勝(1966年)、最優秀防御率(1973年)など
- 殿堂入り:2000年(競技者表彰)
- 所属団体:名球会
- 現在:87歳(2025年3月末時点)、名球会活動・メディア出演などで活躍中
米田哲也さんの記録はどれも桁違いで、特に350勝という数字には圧倒されます。
今のプロ野球ではなかなか見られない、まさに“時代を作った投手”。
プロフィールだけでもその偉大さがひしひしと伝わってきますね!
【名球会】米田哲也の経歴まとめ!プロ野球選手時代から現在まで徹底調査!
通算350勝を達成した伝説の投手・米田哲也さん。
驚異的なスタミナと登板数で、昭和のプロ野球界を支えたひとりです。
ここでは、米田さんの生い立ちからプロ入り、選手時代の記録、そして現在の活動までを紹介します!
米田哲也のここがすごい!
- 昭和を代表する伝説のタフネス右腕
- 通算350勝(日本プロ野球歴代2位)
- 22年の現役生活で949登板!19年連続2桁勝利の鉄腕
- 野球殿堂入り(2000年)、名球会メンバー
- 87歳の今も、名球会やメディアで精力的に活動中!
生い立ちとプロ入りのきっかけ
米田哲也さんは1938年3月3日、鳥取県米子市(旧・西伯郡大篠津村)に生まれました。
家業は薪炭雑貨業。
祖父は海産物の仲買業を営んでおり、地元では働き者の家庭として知られていました。
幼少期から身体を動かすことが好きで、特に野球に魅せられた少年時代を送りました。
中学時代からすでに頭角を現し、地元の名門・境高等学校に進学。
エースとして活躍し、県内ではすでに有名な存在だったそうです。
高校卒業後は1956年に阪急ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ)に自由契約で入団。
ここから伝説の幕が上がります。
阪急ブレーブス時代
1956年、わずか18歳でプロデビューを果たした米田哲也さん。
その年から早くも先発ローテーションに加わり、プロ1年目で13勝を挙げるという衝撃のスタートを切ります。
その後は、毎年のように2桁勝利を記録し、まさに球界を代表するタフネス右腕へと成長しました。
米田哲也さんの阪急ブレーブス時代で特筆すべきは、1960年代の活躍です。
1962年には最多奪三振、1966年には最多勝、1968年にはパ・リーグMVP、1973年には最優秀防御率と、タイトルを次々と獲得。
"米田・梶本"の二枚看板で、阪急ブレーブス黄金時代を築きました。
特に1973年の最優秀防御率(2.02)は、当時としては驚異的な数字。
この年もチームの優勝争いに大きく貢献し、ファンからの信頼も絶大でした。
阪急時代の登板数は789試合、301勝237敗。
記録だけでなく、精神的支柱としてもチームを支えていました。
阪神・近鉄時代
米田哲也さんは1975年、39歳のシーズンに阪神タイガースへ移籍。
当時の阪神は若手中心の再建期にあり、米田さんのようなベテランの加入は大きな話題となりました。
この年は先発だけでなく中継ぎもこなし、10勝10敗という成績を残しました。
1976年も阪神でプレーし、2年間で40試合に登板。
通算成績の積み上げだけでなく、若手投手への助言やリーダーシップでも高い評価を受けました。
そして最終年となる1977年、近鉄バファローズに移籍し20試合に登板、2勝3敗の成績でした。
米田哲也さんはこのシーズンをもって、22年にわたる現役生活に幕を下ろしました。
驚異の通算記録!名球会と野球殿堂入り
米田哲也さんの通算成績は、日本プロ野球史でも屈指のものです。
- 通算勝利:350勝(歴代2位)
- 通算登板:949試合(歴代2位)
- 通算奪三振:3388
- 完投:262、完封:64
- 通算投球回:5130イニング
- 防御率:2.91
- タイトル:最多勝(1966年)、最優秀選手(1968年)、最優秀防御率(1973年)、最多奪三振(1962年)
特に、"19年連続2桁勝利"は近年の投手では考えられない偉業です。
まさに"鉄腕"の象徴。
2000年、野球殿堂入り(競技者表彰)を果たし、名球会にも正式に加入しました。
引退後の活動と現在
引退後は、阪神、オリックス、近鉄などでコーチとして後進を指導。
また、解説者としても活躍しました。
特に印象的なのが名球会での活動。
名球会のイベントやYouTubeチャンネルにも度々出演し、その元気な姿はファンにとって嬉しいニュースとなっています。
2022年には84歳で沖縄の名球会イベントに登場し、2024年8月には週刊ポストのインタビューに登場。
そこで「投手分業制は、投手の誇りを失わせる」と語り、現代野球への鋭い意見を発信しています。
初動負荷理論や牛乳摂取のエピソードなど、独自の健康法も紹介されました。
現在も名球会の一員として精力的に活動を続けており、87歳となった2025年もなおご健在。
長年にわたり故障らしい故障もなく、健康で活動的な姿勢を維持していることから、まさに"生きるレジェンド"と呼ぶにふさわしい存在です。
【2025年最新情報】米田哲也が犯した罪
2025年3月25日、日本プロ野球のレジェンドである米田哲也さんが「万引きの疑いで現行犯逮捕された」という衝撃のニュースが報じられました。
逮捕の報道内容と経緯
2025年3月25日、兵庫県尼崎市のスーパーマーケットで缶チューハイ2本を万引きした疑いで、米田哲也さん(87歳)が現行犯逮捕されたと報じられました。
逮捕したのは尼崎北警察署。
目撃した店員の通報により、警察官がその場で対応したとのことです。
報道後のSNSの反応
報道が出た直後から、SNSでは驚きと落胆の声が広がりました。
野球ファンからは「信じられない」「悲しい」といったコメントが相次ぎ、かつての偉業と今回の事件とのギャップにショックを受けた人も少なくありません。
また、メディア出演歴のある著名人であることから、報道はニュースサイトやテレビでも大きく取り上げられ、社会的関心の高さがうかがえます。
通算350勝の米田哲也が缶チューハイ2本盗んで容疑者になってしまったのが悲しい。
— ドカベン太郎(猛暑嫌い) (@MeikunTaro) March 25, 2025
米田哲也元投手はコーチや解説者
のイメージが強いけど表舞台に
立たなくなってから警察沙汰を
起こして近況を知ったりすると
寂しくなってしまう。わからない
けど世話をしてくれる身寄りが
いないと思うとむなしい気持ち
になる。— うっちー (@uchi_923) March 25, 2025
認知機能の低下?高齢者による軽犯罪としての側面
米田さんは逮捕当時87歳という高齢であり、今回の件には高齢者による軽犯罪という社会的課題も含まれています。
認知機能の低下や孤独感、周囲の見守りの不足など、高齢者特有の問題が背景にあった可能性も否定できません。
高齢者犯罪は年々増加傾向にあり、今回のような著名人による事例は、その深刻さを世間に改めて示す機会にもなりそうです。
認知症か?
殿堂入りしてるレジェンドなのに…>>兵庫・尼崎市のスーパーで缶チューハイ2本を盗んだか プロ野球通算350勝の元投手・米田哲也容疑者を逮捕 pic.twitter.com/UhodZBrIUD
— オワオワリ (@bazutoku) March 25, 2025
「過去の偉大な功績」と「犯罪容疑」
今回の件で問われるのは、過去の功績と現在の容疑をどう切り分けて考えるかという点です。
米田哲也さんは、日本プロ野球の歴史に名を残す偉大な存在である一方、今回の容疑が事実であれば、その社会的信用は大きく損なわれることになります。
人間としての弱さと、スポーツ選手としての偉大さ。
その両面をどう見つめるべきか、世論は揺れ動いています。
今回の報道が米田さんの名球会資格や野球殿堂での扱いに影響を与えるかどうかも、今後の議論のひとつとなるでしょう。
私たちもこの出来事を一過性のニュースとして消費するのではなく、高齢化社会や倫理観について考えるきっかけにしたいところです。
【名球会】米田哲也の経歴まとめ!プロ野球選手時代から現在まで徹底調査!まとめ
米田哲也さんは1956年に阪急ブレーブスに入団し、1977年までの22年間で通算350勝・949登板・3388奪三振という驚異的な記録を残した、日本プロ野球界のレジェンドです。
”ガソリンタンク”と称されたそのスタミナと実績は今なお語り継がれており、引退後もコーチや名球会の活動を通じて野球界に貢献。
2024年時点でも元気に活躍する姿が見られていましたが、2025年3月には兵庫県尼崎市のスーパーで缶チューハイを万引きした疑いにより87歳で現行犯逮捕されたと報道されました。

米田哲也さんの350勝という実績には本当に驚かされます。
それだけに、今回の報道は残念でしたが、過去の功績まで否定するものではないと思います。
その偉業はこれからも語り継がれていってほしいです!